オランダの歴史(ハプスブルク家所領)
ハプスブルク家所領 1477年〜
シャルル大胆公(ブルゴーニュ公)が戦死(1477年)。一人娘のマリーはオーストリア大公マクシミリアン(後の神聖ローマ皇帝)と結婚し、ネーデルラント地域はハプスブルク家の所領となる。スペイン・ハプスブルク家所領 1556年〜
マクシミリアン1世(神聖ローマ皇帝)の所領を、孫のカール(カール5世、スペイン系ハプスグルグ家)とフェルディナント(フェルディナント1世、オーストリア系ハプスグルグ家)が分割相続(1521年)。ネーデルラントは、スペインの支配下に入る。父方 | 祖父 | マクシミリアン1世 | 神聖ローマ皇帝 | A |
イタリア王、ドイツ王、オーストリア大公 | B | |||
祖母 | ブルゴーニュのマリー | ブルゴーニュ公 | C | |
(ネーデルラント17州)※一部除く | ||||
父 | フィリップ美公 | C' | ||
母方 | 祖父 | アラゴン王フェルナンド2世 | アラゴン王、ナバラ王、バルセロナ伯、 バレンシア王、シチリア王 |
D |
祖母 | カスティーリャ女王イサベル1世 | カスティーリャ王、レオン王 | E | |
母 | ファナ | [E']+ [D'] | ||
兄弟 | シャルル | [A'] +[ C''] + [D''+E''] | ||
フェルナンド | [B] + [A''] |