「Century books 人と思想」シリーズの本 既刊本リスト (清水書院) その6
大人の教養 / リベラルアーツ。
既刊本一覧 目次
I | 1-10 | 11-20 | 21-30 | 31-40 | 41-50 | 41-50(II) |
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II | 51-60 | 61-70 | 71-80 | 81-90 | 91-100 | 91-100(II) |
III | 101-110 | 111-120 | 121-130 | 131-140 | 141-150 | |
IV | 151-160 | 161-170 | 171-180 | 181-190 | 191-200 |
「人と思想」 既刊本一覧 No.51〜60
51 | 幸徳秋水 | 幸徳秋水 (センチュリーブックス 人と思想 51) 絲屋寿雄 清水書院 2000 売り上げランキング : 1069601 |
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52 | スタンダール | スタンダール (Century Books―人と思想) 鈴木昭一郎 清水書院 1991-07 売り上げランキング : 1199618 |
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53 | 和辻哲郎 | 和辻哲郎 (Century Books―人と思想) 小牧治 清水書院 1986-12 売り上げランキング : 839408 |
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54 | マキアヴェリ | マキアヴェリ (Century books―人と思想) 西村貞二 清水書院 2000 売り上げランキング : 923239 |
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55 | 河上肇 | 河上肇 (センチュリーブックス 人と思想 55) 山田洸 清水書院 2000 売り上げランキング : 1781373 |
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56 | アルチュセール | アルチュセール (センチュリーブックス 人と思想 56) 今村仁司 清水書院 2000 売り上げランキング : 803020 |
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57 | 杜甫 | 杜甫 (Century Books―人と思想) 鈴木修次 清水書院 2014-09 売り上げランキング : 1550804 |
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58 | スピノザ | スピノザ (センチュリーブックス 人と思想 58) 工藤喜作 清水書院 2000 売り上げランキング : 536855 |
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59 | ユング | ユング (センチュリーブックス 人と思想 59) 林道義 清水書院 2000 売り上げランキング : 806036 |
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60 | フロム | フロム (Century Books―人と思想) 安田一郎 清水書院 2016-01 売り上げランキング : 456077 |
《内容》
58 | スピノザ (wikipedia:バールーフ・デ・スピノザ) 17世紀のヨーロッパにおいてもっとも繁栄し、信仰において最も自由で、寛容な国とみなされたオランダ。スピノザはこのオランダにユダヤ人として生まれたが、聖書研究によってユダヤ教に批判的となり、ついには教団から破門される。その後、いかなる教会・宗派にも親しまず、自由な哲学者として独自の道を歩む。無神論者と烙印をおされた彼は、なるほど伝統的な神の概念を否定したけれども、決して神の存在を否定したわけではない。彼にとって問題なのは、純粋な哲学の立場で理性の批判に耐えうる神の概念を確立することであった。すなわち、この世界で人間の自由がいかに達成されるかが彼の哲学の根本問題であったのである。人間の自由、それは社会的には言論・思想の自由、市民の自由であり、哲学的には人間の救済を意味した。彼はこれを主著『エチカ』で達成しようとした。この時代に、自由を哲学的思索の全面に展開し、倫理・宗教的深みに達したのは彼の身である。 (表カバー) |
59 | ユング (wikipedia:カール・グスタフ・ユング) ユングが40歳の前後にすさまじい無意識体験をしていたときは、現実の世界を離れて、「あの世」に行っていたようなものである。そのような危機的なときに、日常的な現実世界をしっかり守っていたのが妻のエンマ=ユングであった。ところがユングの危機が一段落すると、こんどはエンマがユングの分析を受けて無意識体験を行い、やがて彼女も分析家となり、ユング心理学を応用した聖杯伝説の研究に従事していくのである。こうした夫婦の間の無意識体験のズレは巧まずして一つの協力と調和の関係を作り出していたと言えるだろう。ユングは21歳のとき14歳の彼女を一目見て「これは私の妻だ」と直感したということである。妻が死んだときに彼のショックは大きく、石に彫刻するという元型的な作業をつづけることで、かろうじて耐えることができたほどであった。 (表カバー) |
60 | フロム (wikipedia:エーリヒ・フロム) フロムは26歳のとき外面的にはユダヤ教の信仰を捨てたが、その影響はのちのちまで彼の生活と著書に色濃く残った。親しい人の集まりで、彼は好んでユダヤの古い歌を歌ったと伝えられている。しかしその一方で、彼は、マルクス主義の解説書を書くほどマルクス主義についての造詣が深かった。彼のなかではそれらは完全に統合されて彼はマルクスの疎外について語ることも、旧約聖書の文句を引用するのを忘れなかった。晩年彼は老子の教えに共鳴したが、それは、「正言は反するがごとし」(真理は逆席的である)と説く老子の思想が弁証法的だと考えたためであった。第二次世界大戦後に登場した思想家のなかで、フロムほど著書が広く読まれたひとはいないが、それは、左右・東西にまたがるその該博な知識によるところが大きいように思われる。 (表カバー) |