「Century books 人と思想」シリーズの本 既刊本リスト (清水書院) その12

大人の教養 / リベラルアーツ

「人と思想」 既刊本一覧 No.111〜120

111 ヴァイツゼッカー 438941111X
ヴァイツゼッカー (Century Books―人と思想)
加藤常昭

清水書院 1992-06
売り上げランキング : 533650

112 メルロ・ポンティ 4389421123
メルロ=ポンティ (Century Books―人と思想)
村上隆

清水書院 2014-08
売り上げランキング : 760946

113 オリゲネス 4389411136
オリゲネス (Century Books―人と思想)
小高毅

清水書院 1992-08
売り上げランキング : 361088

114 トマス・アクィナス 4389411144
トマス・アクィナス (Century Books―人と思想)
稲垣良典

清水書院 1992-11
売り上げランキング : 385539

115 ファラデーとマクスウェル 4389411152
ファラデーとマクスウェル (Century Books―人と思想)
後藤憲一

清水書院 1993-02
売り上げランキング : 606721

116 津田梅子 4389411160
津田梅子 (Century Books―人と思想)
古木宜志子

清水書院 1992-11
売り上げランキング : 498779

117 - - -
118 シュニツラー 4389411187
シュニツラー (Century Books―人と思想)
岩淵達治

清水書院 1994-12
売り上げランキング : 1143542

119 タゴール 4389411195
タゴール (Century Books―人と思想)
丹羽京子

清水書院 2011-05
売り上げランキング : 448234

120 カステリョ 4389411209
カステリョ (Century Books―人と思想)
出村彰

清水書院 1994-10
売り上げランキング : 1065336

111 ヴァイツゼッカー (wikipedia:リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー

1985年5月3日、ドイツの敗戦40年記念日の大統領リヒャルト=フォン=ヴァイツゼッカーの演説は、今世紀の人間の心に刻まれる記念碑となった。ドイツ国民のみならず、全世界の心ある人びとの心に届いたのである。同じ敗戦を経験し、戦争責任を問うべき日本人にとして、この思索する大統領の思想と言葉とを、大統領自身の言葉を手掛かりに追求し、学ぶことは、大切な、こころ動く課題である。ナチの時代の外務次官で戦争裁判被告となった父、自分の国防軍将校としての従軍、その良心の苦悩を忘れず、戦後の再建の祖国に、誠実なキリスト教者として貢献しようとした人。神の前にひざまずく心と共に、共に生きる人間を人間として尊ぶ心に生き抜こうとしたこの人の言葉を、「あの演説」からはじめに学んでみよう。 (表カバー)
112 メルロ=ポンティ (wikipedia:モーリス・メルロー=ポンティ

メルロ=ポンティは視覚について考え続けた哲学者であった。眼に見える世界が奥行をもって現れ、眼差しが世界を遠近法的展望の下に捉えるということは、いかなることか。彼は、この問いに答えようとした。彼が少年時代を過ごした南フランスの風景を、セザンヌゴッホは美しい絵画に描いたが、この画家たちを魅了した可視性の神秘を、彼は哲学的に解明しようとした。それゆえに、彼の緻密な思索の後を追う時、我々は、セザンヌゴッホの絵画を前にした時と同じような静かな生の悦びを感ずるのである。変貌したフランス社会の中にかつてのブルジョア社会の名残りが見られるように、マルクス主義に希望を託して挫折したこの哲学者の中にも、初めて世界を眺めた時の感動の残響が残ったといえよう。そして絵画とは、本来このような感動の記録なのである。 (表カバー)
113 オリゲネス (wikipedia:オリゲネス

エスの死後150年、ヘレニズム文化の中心都市アレクサンドリアに生まれたオリゲネスは、殉教者となった父からキリスト教信仰を培われ、ユダヤ教ギリシア哲学・異端との対峙の中で、父なる愛情深い神と、その神から離れキリストによって連れ戻される人間との間に織りなされる壮大なドラマともいうべき神学を構築する。キリスト教神学の揺籃期に生まれたその神学、聖書研究は後世に多大な影響を及ぼし、現代にも大きな波紋を投ずるものである。しかし、その生涯は波乱に富んだものであり、死後もその評価は大きく二分される。死後300年して異端宣告され、その思想は抹消されるかにみえたが、絶えず人々の関心をひき続け、20世紀に至り不死鳥のごとく蘇る。それは一人の偉大な思想家の数奇な生涯と、その思想の脈々と生き続ける活力を示すものである。 (表カバー)
114 トマス=アクィナス(wikipedia:トマス・アクィナス

中世の精神文化を代表する偉大な作品といえば、だれでもゴシック大聖堂と共にトマス=アクィナスの『神学大全[スンマ]』をあげる。しかし多くの人は、いわば遥かな時代の記念碑であるかのようにトマスを遠くから眺め、讃え、そしてそのまま行き過ぎてしまう。近づいてその生の声に耳を傾ける人は稀である。たしかに、ラテン語の膨大な著作の奥にいるトマスその人と出会うことは難しい。トマスの同時代人たちと、かれを「革新者」にとして讃え、あるいは危険視したが、その「革新」の深い意味は理解しなかった。しかし、トマスを斥けるところから出発した近代思想が、あらゆる面で行きづまっているように見える今日、もう一つの「選択肢[アルターナティブ]」としてのトマス思想を見直す必要があるのではないか。本書はトマスの生の声を伝え、読者をトマスその人との出会いに導こうとする試みである。 (表カバー)
115 ファラデーとマクスウェル(wikipedia:マイケル・ファラデーwikipedia:ジェームズ・クラーク・マクスウェル

人類が初めて「火」の存在を知り、それを使いこなすようになったとき、その生活は格段の進展をしたように、人類が「電気」と「電波」を生活に取り入れるようになったとき、今日の文明社会が始まったといってよかろう。この電気と電波の利用の道を拓いたのは、ファラデーとマクスウェルであった。これより人類が受けた恩恵は計り知れないものがあり、そのことは、電気と電波のない世界を想像してみれば、ただちに実感されるであろう。さらに、二人によって見いだされた電気磁気の法則は、ニュートンの力学の法則に比肩するもので、両者は物体の現象を律する最も基本的な二本柱といわれる。さて、一方は小学校しか出ていない鍛冶屋の次男から、一方は地主の一人息子から出発して、これをなしとげるまでを振り返りながら、その偉業を理解してもらえるよう述べてみよう。 (表カバー)
116 津田梅子(wikipedia:津田梅子

1871年末、岩倉使節団とともに渡米した津田梅子は太平洋横断中に7歳の誕生日を迎えた。ワシントン郊外のランマン家で約11年間、文学・美術の薫陶とピューリタンの気風の中で育ち、中等教育を終えた。帰国した日本では女子留学生を活用する体制は整っていなかった。二つの文化の狭間で青春を失った痛手、与えられた使命を果たせないという焦りの中で3年間耐えた後、創立された華族女学校の教授に任命された。しかしその職にあきたらず、プリンマー大学に留学、さらに欧米の女子教育を視察の後、1900年に女子英学塾を創立した。声高に叫ばれるイズムによってではなく、「知性と性格の力を備え、自分で思考できる女性」を育てる、という理念を掲げて女性の解放をめざしたその一途で着実な歩みは、教育の危機が問われる今日、反省のきっかけを与え、志を同じくする者に希望をもたらすであろう。 (表カバー)
118 シュニツラー(wikipedia:アルトゥル・シュニッツラー

シュニツラー(1862〜1931)は、森鴎外の『恋愛三昧』の翻訳などで早くから知られ、大正時代からたびたび上演されたので、古い世代にはまだファンも多い。戦後はその人気も下火になり、その名も忘れられかけていたが最近の世紀末のブームとともに再び注目されるようになってきた。しかしシュニツラーを、社会性をもたない、愛と死とエロスの作家と考えるワンパターンの先入観はいまだに全く改まっていない。これは世紀末というときに自然主義を全く欠落させるパターンと通底している。シュニツラーについても、彼の社会問題と対決した作品の紹介が、当初から欠落していたことがいまさらのように思い知らされる。もちろん、愛と死とエロスの作家であることも事実だが、彼の作品がいかに世紀末から今世紀初めのウィーンの社会的諸問題と対決していたかという側面も、本書で明らかにしたい。 (表カバー)
119 タゴールwikipedia:ラビンドラナート・タゴール

1913年、ベンガルの詩人タゴールは、一冊の詩集によって、アジア人のみならず非ヨーロッパ人として初めてノーベル文学賞を受賞した。以来、タゴールは世界的な詩人として高く評価され、ロマン・ロランやガンディーといった国内外の著名人と親交を結び、世界各国を訪問、日本にも通算5回訪れている。タゴールの時代には、インド亜大陸はイギリスの支配下にあったが、独立国となると同時に二国となった今日でも、タゴールがインド、バングラデシュ双方の誇りであることは、二国ともがタゴール作詞作曲の歌を国家と制定していることからもうかがえる。タゴールという存在はベンガルの文化的支柱であり、またその珠玉の詩はベンガル人のこころの支えとなっている。本書はこの偉大な詩人の軌跡を描き出し、その今日的な意味を問うものである。 (表カバー)
120 カステリョ(Sebastian_Castellio

16世紀は、人類が初めて「世界」、あるいは「地球」を意識した時代であった。それだけに、古い思考形式や制度と、新しいものとの激突も避けがたかった。ヨーロッパの宗教界では、それまでのローマ・カトリック教会の「一極支配」が崩壊して複数化が進捗、必然的に宗教・宗派の対立・抗争がおこり、ついには血で血を洗う宗教戦争にまで至る。20世紀の現代と同様に、それぞれが真理の独占性を確信してやまないからである。そのような時代に、内面的真理・真実の領域において、外部からの力による強制の空虚さ、良心の尊厳を毅然として主張したのが本書の描くカステリョにほかならない。16世紀にはしょせん「荒野に叫ぶ声」でしかなかったが、やがては人類に共通の精神的財貨となる「信教の自由」の先駆者たるカステリョの「人と思想」が、本邦で初めて本格的に紹介される。 (表カバー)