「Century books 人と思想」シリーズの本 既刊本リスト (清水書院) その13

大人の教養 / リベラルアーツ

「人と思想」 既刊本一覧 No.121〜130

121 ヴェルレーヌ 4389411217
ヴェルレーヌ (Century Books―人と思想)
野内良三

清水書院 1993-11
売り上げランキング : 940212

122 コルベ 4389411225
コルベ (Century Books―人と思想)
川下勝

清水書院 1994-03
売り上げランキング : 706759

123 ドゥルーズ 4389411233
ドゥルーズ (Century Books―人と思想)
船木亨

清水書院 1994-03
売り上げランキング : 349863

124 白バラ 4389411241
「白バラ」―反ナチ抵抗運動の学生たち (CenturyBooks―人と思想)
関楠生

清水書院 1995-01
売り上げランキング : 427750

125 リジュのテレーズ 438941125X
リジュのテレーズ (Century Books―人と思想)
菊地多嘉子

清水書院 1994-11
売り上げランキング : 1016996

126 リッター 4389411268
リッター (Century Books―人と思想)
西村貞

清水書院 1995-09
売り上げランキング : 1347304

127 プルースト 4389411276
プルースト (CenturyBooks―人と思想)
石木隆治

清水書院 1997-08
売り上げランキング : 192232

128 ブロンテ姉妹 4389411284
ブロンテ姉妹 (Century Books―人と思想)
青山誠子

清水書院 1994-12
売り上げランキング : 903724

129 ツェラーン 4389411292
ツェラーン (Century Books―人と思想)
森治

清水書院 1996-01
売り上げランキング : 1128689

130 ムッソリーニ 4389411306
ムッソリーニ―ファシズム序説 (CenturyBooks―人と思想)
木村裕主

清水書院 1996-04
売り上げランキング : 807513

121 ヴェルレーヌ (wikipedia:ポール・ヴェルレーヌ

「秋の日の ヴィオロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し」「巷に雨の降るごとく わが心にも涙ふる」上田敏堀口大学の名訳によって日本の読者にもその名をよく知られたフランスの詩人ヴェルレーヌマラルメと並び称される象徴主義の大詩人。その生涯は波乱に富み、スキャンダルに満ちている。天才少年詩人ランボーとの運命的出会い、「十字架の道行き」、ブリュッセルでの発砲事件、独房生活。デカダンスを地でいく酒と官能に溺れる日々。こうした泥だらけの人生からせつせつと訴えかける、平明にして陰影に富んだ名品の数々が生み出される。本書は一見矛盾する詩人の生涯と生活に通底する論理を剔出し、そのポエジーの秘密に迫る、簡にして要を得たヴェルレーヌの入門書である。 (表カバー)
122 コルベ (wikipedia:マキシミリアノ・コルベ

アウシュヴィッツといえば、大量虐殺が行われた死の収容所を思い浮かべる。そこに、他者のために命をなげうって、餓死監房にくだった一人の人間がいた。マキシミリアノ=コルベ神父である。神父は、「友のために命を捨てる愛」という武器をもって、人間の尊厳を否定する巨悪の力に立ち向かった、現代の預言者である。かれは、「憎しみからは何も生まれない。愛だけが創造する」という言葉を残している。まさに預言者の言葉であり、憎悪、不正義、搾取、命の抹殺、人間性の破壊という悪の力が渦巻く世界にあって、確かな重さを持っている。神父は学者ではない。自らの行動と生活によって証しする預言者、ジャーナリストとしての感覚を持つ実行の人であった。同時に、人間としての弱さも重く引きずっていた。本書は、かれ自身の言葉を辿りながら、かれ自身に語らせながら、餓死室に赴いたこの現代の預言者の姿に迫ろうとするものである。 (表カバー)
123 ドゥルーズ (wikipedia:ジル・ドゥルーズ

1960年代以降、わが国に紹介されてきた現代フランス思想のなかで、『アンチ・エディプス』という書物は、一段の光彩を放っている。学生時代、ゼミに初めて出席した時、研究室の中を聞いたこともない概念が飛びかっていた。それが当時の最先端の思想であり、その時代の意義を最もラディカルに表現していた書物であるということに気づかされたのは、数年のちのことである。現在でもその書物の意義は決して薄められはいないと思われるが、ある程度の時がたって、いまや、そのような稀有の書物を世に出したドゥルーズの哲学とはどのようなものであったかが、明らかにされなければならない時期にきている。というのも、その哲学こそ、いよいよ今後の世界が進んでいくべき方向を示しているのではないかと考えられるようになってきているからである。 (表カバー)
124 白バラ (wikipedia:白いバラ

ドイツ語の〈白バラ〉は大文字で書かれ、固有名詞化されている。それだけよく知られているということだが、日本ではインゲ=ショル著の本は『白薔薇は散らず』、映画は『白バラは死なず』というふうに紹介されている。このほかにも〈白バラ〉関係の著訳書は何冊かあるが、なお、この語がよく知られているとは言いがたい。ヒトラー治下のドイツで、独裁体制に対する抵抗運動に立ち上がった大学生たちが作成し配布したビラの名が〈白バラ〉であることから、彼らを〈白バラ-グループ〉とよぶのである。ミュンヘン大学で毎年二月、刑死したこの人たちを追走し記念する催しが行われる。彼らの抵抗が非政治的、精神的なものにとどまり、その運動を挫折ととらえるべきか、あるいはまた、のちのちまで影響を残す高次の政治的なものだったかをめぐって、なお論議がある。 (表カバー)
125 リジュのテレーズ (wikipedia:リジューのテレーズ

リジュのテレーズは1世紀ほど前、ジャンセニズムの影響が教会に根強く残っていた時代に、神は「限りないあわれみの愛である」神秘を聖書のなかに発見した。罪深い人間を無条件にゆるし、慈しむ神の無償の愛がすべてに先行するのであって、人間に求められるのは、ただ自分の無力さに徹し、空の手をさしのべつつ絶対の信頼と希望を抱いて、神に自らをゆだねきることなのである。人はみな、神の心にとって限りなく貴い。価値あるものは愛のみであり、人は自分を忘れて神と人々に仕えうるがゆえに、「宇宙よりも偉大」なのである。日常の些細な行為を内面から変貌させ、人間的地平の限界を宇宙的規模まで広めうるのも、愛にほかならない。テレーズは深遠な神秘思想を単純明快に説き、これを生き抜いた。満たされない心の渇望を感じるすべての人を、テレーズが本書をとおして真の愛、永遠のいのちの泉に導いていくことを願ってやまない。 (表カバー)
126 リッター (wikipedia:ゲルハルト・リッター (1888年生)

ゲルハルト=リッター(1888〜1967)は、ドイツ政治学上の正統派に属する。マイネッケ亡きあと西ドイツ史学界の第一人者となり、国際政治学界においても重きをなした。しかし、その研究領域はきわめて広く、宗教史・精神史におよぶ。叙述家としてもすぐれ、数々の政治家評伝においてその力量を示した。叙述にこそ歴史家の本分があるのである。さらに実践面で、ドイツ福音主義教会の指導者と仰がれ、ナチスに対する抵抗運動に連座して苦難をなめた。ひとことで言えば、現代ドイツの激動を経験した歴史家である。なんぴともその該博な知識、強靭な精神、果敢な行動力に驚きの念を禁じ得ない。本書は、晩年のリッターから恩顧を受けた筆者が、私情を抑え、冷静に人と思想を浮かび上がらせようと努めた力作である。 (表カバー)
127 プルースト (wikipedia:マルセル・プルースト

マルセル・プルーストはフランスの19世紀末から20世紀初頭のベル・エポックに生きた作家で、フランスの歴史の中でも最も優美な時代の空気を吸いながら、『失われた時を求めて』という唯一の作品を書き上げることに一生を投じた人物である。彼の書いた作品は、当然にも優雅で美しい。けれども、19世紀末の象徴派のような、過去を感傷的に喚起している作品だと考えるならば、これほど間違った想像はないだろう。この作品は全体としてはきわめて健全に力強く前進していく。その結果として最後に得られる世界は20世紀にふさわしい輝かしい美の世界である。プルーストを読むことによってわれわれは現実を見る目を刷新され、われわれの日常がどれほどの魅力をもって輝いているか気づかされることになるだろう。 (表カバー)
128 ブロンテ姉妹 (wikipedia:ブロンテ姉妹

ブロンテ姉妹は、イギリスの女性作家のなかで、日本でもっとも親しまれてきた存在である。とくにシャーロットの『ジェイン=エア』、エミリの『嵐が丘』は、広く知られ、多くの人々を感動させてきた。末娘のアンの作品にも独自の魅力がある。ブロンテ姉妹の特異な環境や悲劇的な人生を、私たちはともすると感傷や先入観をもって見がちである。本書は、保守的な19世紀英国社会の中で、悲惨ともいえる運命と闘いながら、女性の経済的、社会的、そして精神的自立をめざして生き、女性の自己表現のため書いた雄々しいブロンテ三姉妹の人生と作品に新しい光を当て直し、その思想的側面が浮かび上がるように配慮して書かれたものである。 (表カバー)
129 ツェラーン (wikipedia:パウル・ツェラン

ユダヤ人ツェラーンの原体験は第二次世界大戦中の迫害、なかんずく強制収容所での両親と同胞の死である。非人間的な極限状況を生きのびた詩人はアドルノがいうアウシュヴィッツ後の不可能な時代にあって、詩の可能性を追求した。不可能から可能への転換には詩人の内部での限界突破という決定的な出来事が絡んでいるが、その通過が逆に絶望的な限界に対して積極的・能動的にはたらくのである。傷はすでに傷のままに癒され、創[キズ]として創造への契機となる。詩人は倒錯的ともいえる強い信念をもって、新たな現実と対話としての詩の相手を求めて一歩を踏み出す。解体した言葉と世界は新たな結合のもとに、可能的な言葉世界へと再構築される。本書では、ともすれば消極的になるツェラーン読解を反転させ、肯定的・積極的な面を解明する姿勢を貫こうとする。 (表カバー)
130 ムッソリーニ (wikipedia:ベニート・ムッソリーニ

古代ローマの栄光」を夢みて、イタリアの若き日のベニートムッソリーニは「すべては国家の中にこそ存在する。人間も精神も国家を離れては存在しえない」とするファシズム全体主義を創始し、「ファシズムは実践である」と政治に乗り出す。その姿をドイツのアドルフ=ヒトラーは羨望の目で仰ぎ見ていた。やがて英米仏の先発資本主義国に追いつこうとするそのイタリアとともに、同じ後発資本主義国ドイツ、日本が手を結び、歴史は史上最大の第二次世界大戦へとつき進む。結果は日独伊の全体主義体制が英米仏などの民主主義体制に敗北する。だがその後も、ファシズム思想とその手法は、さまざまの姿や形を変えて生き続けている。いまここにムッソリーニが展開した政治過程をみることにより、我々はファシズムの何たるかを歴史に即して理解することができる。 (表カバー)