「Century books 人と思想」シリーズの本 既刊本リスト (清水書院) その4

大人の教養 / リベラルアーツ

「人と思想」 既刊本一覧 No.31〜40

31 シュバイツァー 4389410318
シュバイツァー (センチュリーブックス 人と思想 31)
小牧治 泉谷周三郎

清水書院 2000
売り上げランキング : 321869

32 ネルー 4389420321
ネルー (Century Books―人と思想)
中村平治

清水書院 2014-09
売り上げランキング : 1279833

33 毛沢東 4389410334
毛沢東 (Century books―人と思想)
宇野重昭

清水書院 2000
売り上げランキング : 1074783

34 サルトル 4389420348
サルトル (Century Books―人と思想)
村上嘉隆

清水書院 2014-08
売り上げランキング : 755313

35 ハイデッガー 4389420356
ハイデッガー (Century Books―人と思想)
新井恵雄

清水書院 2014-08
売り上げランキング : 1118436

36 ヤスパース 4389420364
ヤスパース (Century Books―人と思想)
宇都宮芳明

清水書院 2014-09
売り上げランキング : 580154

37 孟子 4389410377
孟子 (センチュリーブックス 人と思想 37)
加賀栄治

清水書院 2000
売り上げランキング : 969147

38 荘子 4389410385
荘子 (センチュリーブックス 人と思想 38)
鈴木修次

清水書院 2000
売り上げランキング : 1009873

39 アウグスティヌス 4389410393
アウグスティヌス (Century Books―人と思想)
宮谷宣史

清水書院 2013-05
売り上げランキング : 329968

40 トーマス・マン 4389410407
トーマス・マン (Century Books―人と思想)
村田経和

清水書院 1991-07
売り上げランキング : 537564

《内容》

31 シュバイツァー (wikipedia:アルベルト・シュヴァイツァー

アルベルト・シュバイツァーは、21歳の夏、「わたしは、30歳までは、学問と芸術のために生きよう。それからは、直接人類に奉仕する道を進もう」と決心し、その後、医学を勉強して、38歳のとき、哲学者・宗教家・音楽家の地位をなげすてて、もっとも恵まれない黒人を救うために、アフリカに向かったのであった。それから50年、シュバイツァーは「生命への畏敬」をモットーに、ランバレネにヒューマニズム灯台をたて、その光をより明るく、より遠くへおよぼしていった。ところで、人命尊重の精神さえ失われがちなこんにち、われわれはシュバイツァーの生涯と思想とを理解して、そのすぐれた精神を学び、それを日常生活において具体化して、より明るい社会を築くように、努力することが必要なのではなかろうか。 (表カバー)
32 ネルー (wikipedia:ジャワハルラール・ネルー

一度ならずネルーは、自分が特定の人間から影響を受けたことはないといっている。その通りであろうが、ガンディーから受けた影響はきわめて大きい。時としてネルーはガンディーの痛烈な批判を行いながら、ガンディーが活躍した時代環境の中からネルーは育ってきた。その点はネルーも認めており、インドの大衆の哀歓を汲みつくす中から、また、大衆と行動をともにする中から、ネルーは大衆指導者としての地位を築きあげた。大衆との接触を通じてネルーがインドを発見して行く過程は、まさに先達としてのガンディーが敷設した軌道の延長線上に連なるものであった。その政治指導上のバトン・タッチに至るまで、ガンディーは現代インドの見張りの役割をつとめた。ネルーもそれを期待していた。この役割は不幸にして独立インドの過熱した民族主義により中途で否定されたけれども。 (表カバー)
33 毛沢東 (wikipedia:毛沢東

ヨーロッパ近代とは何か。血のにじむような中国の実体験をもってこれに答えようとしたのが、毛沢東であった。ヨーロッパ近代、それは中国にとっては新しい苦しみの始まりを意味した。これと対決するには、徹底的文化革命とともに、実際的な武装闘争が必要であった。毛沢東が、まず現実的な軍事戦術論においてその特徴を発揮したのも、そのためである。そこには、マルクスレーニンの理論とともに、伝統的な中国のちえが生きて働いている。激動する中国にあって、いまおなお毛沢東の哲学的・思想的体系はととのえられるにはいたっていない。しかし、われわれは、その思想の原型の形成過程の跡を追うとき、毛沢東個人をこえた毛沢東思想の可能性を読みとっていくことができるであろう。 (表カバー)
34 サルトル (wikipedia:ジャン=ポール・サルトル

もし、「現代に生きるサルトル」ということばが、サルトルの表面を飾るにふさわしいことばであるとするなら、「ボーヴォワールとともに生きるサルトル」という表現は、サルトルの内面を飾るにふさわしい。ともに哲学を愛し、ともに文学を愛しつづけた二人の生涯を前にして、わたしは何かある誇りのようなものを感ずる。その誇りの感情は、ひとりの人間が他の人間によせることのできる、現代ではむしろまれになってしまった感情なのだ。ボーヴォワールにとって、サルトルの存在は唯一最大の誇りであったと同じように、サルトルにとってもボーヴォワールの存在は唯一最大の誇りであったにちがいない。 (表カバー)
35 ハイデッガー (wikipedia:マルティン・ハイデッガー

第一次世界大戦――それは西洋の没落を人々に意識させたエポック・メーキングなできごとであった。大戦後、人々が不安と危機意識におびえているさなかに登場したハイデッガーは、人々の間に深い感動を巻き起こした。その著「存在と時間」は、人間を実存の根底から見返しつつ現代と対決した実存主義の金字塔である。以来、ハイデッガーは、神秘的な存在の思想へと思索を深めながらも、一貫して歴史や文化と対決し、現代を超え行く道を探し求めた。科学技術の支配のもとで、故郷を喪失し自分自身を見失っている私達に、ハイデッガーは故郷へ帰る道を指し示そうとするのである。 (表カバー)
36 ヤスパース (wikipedia:カール・ヤスパース

第一次大戦と第二次大戦――人類は20世紀の前半に2つもの大戦を経験した。大多数の人間が人間であることを見失ったこの時代に、人間の高貴な生き方を貫きとおし、時代の良心を代弁したのが、カール=ヤスパースである。ヤスパースは時代のなかで、時代とともに、しかもなお時代を超えて、人間とは何かを、歴史とは何かを、平和とは何かを、問い続けてきた。その思想の核心は、実存としての人間の自由とその擁護にある。現代ではリベラリストを自称するまやかしの思想家が多いが、ヤスパースこそは正真正銘のリベラリストであって、その確固とした信念とに人類の未来への懸念は、深く考えぬかれた思想のすみずみにまで及んでいる。 (表カバー)
37 孟子 (wikipedia:孟子

……それにしても、わたくしは、これまでになく孟子を闘う思想家として方向づけたように思われる。それが、わたくしの筆の走り過ぎによるものであれば、読者におわびしなければならないであろう。しかし、歴史の陰にかくれてみえない壮・中年期の孟子の生きた姿を、なんとかとらえようとして突っこんでゆくと、かならずぶつかるのが楊・墨子に対する闘争であり、また彼によって樹立された儒家の新学説も、ほとんどすべてといってよいほど、対楊・墨闘争の中から形成されたものであった。この実相は、ほぼまちがいないと思う。とすれば、生きた孟子の生涯のすがたは、やはり熱い血潮が体内をめぐり、切れば鮮血がほとばしるような、闘う思想家孟子のそれではなかったろうか。しかも、そこには、ちょうと河上肇博士の『自叙伝』を読み終えたときにも覚えた、闘う思想家のあの誠実さが貫かれている。…… (表カバー)
38 荘子 (wikipedia:荘子

わずらわしいことが多いこの世の中を克服して、スケール大きく、真に自由な世界に生きるには、どうしたら良いのか。また、どうしたらもっとも理想的な政治社会が作れるのか。そのことを一貫して考え続けたものが『荘子』である。『荘子』は、やがて、中国仏教の代表をなす禅を生んだ。『荘子』の知恵と禅の知恵との間には、共通するものが多い。本書は『荘子』的世界をわかりやすく解明し、禅との関係を明確に論じたユニークな著作である。…… (表カバー)
39 アウグスティヌス (wikipedia:アウグスティヌス

自伝文学の傑作『告白録』や最初の歴史哲学の書『神の国』の著者アウグスティヌスは、ヘレニズムとキリスト教を総合し、ヨーロッパ文化の基礎づけをしたことで、西洋中世の思想と文化に、ルネサンス宗教改革に、さらに現代の実存哲学などにも影響を与えているため、「最初の近代人」「西洋の教師」と見なされている思想家である。それに彼は、人間の心と愛を重んじたために心の哲学者」「愛の思想家」とも言われている。本書では、アウグスティヌスの生涯と思想を、とくに愛の体験と思想を丁寧に辿っていく。たとえば、彼は『告白録』のなかで、時間論、人間の意思や誘惑等の問題を詳細に論じ、現代の読者にも多くの刺激を与えている。また自らの生涯を、その内面を、愛と善悪を、この上なく率直に美しい文体で告白することにより、人間の存在そのものを深く正確に描き出している。アウグスティヌスの紹介は大変興味深く、読者を惹きつけるであろう。…… (表カバー)
40 トーマス・マン (wikipedia:トーマス・マン

第二次世界大戦ナチスによりドイツを追われアメリカにあったトーマス・マンは、自分こそドイツ文化を代表する者であり、大西洋の彼方にはもはやドイツはないと述べた。1875年から1955年まで生きたこの作家は、19世紀末、20世紀初頭、第1次世界大戦、ワイマル共和国、第2次世界大戦とナチ時代、そして戦後の世界を通じて、常に、ドイツの、ヨーロッパの、そして世界の声を代表してきた。その自信が彼のこの言葉を裏打ちしているのだが、その自信はどこから出てきたのだろう。自分のアイデンティティをどこに求めてよいか分からない少年時代を過ごし、ひたすらこれを追い求め、ついにその自負を得たトーマス・マンは、ドイツとドイツ人とをしるうえに、このうえない資料を私たちに示してくれる。…… (表カバー)